昆布だしの歴史と、水の相性

日本の食文化に大きな影響を与えた昆布、その歴史と食との関わりについて考えてみましょう。

(2017.6.27)


昆布だしの起源と歴史

日本の食文化は昆布が使われる以前と以後で、画期的に変化したといわれています。それは昆布だしの登場により食文化が華やかになったということです。司馬遼太郎の書籍「街道をゆく」にも日本の食文化について「昆布以前と昆布以降とでは、味覚の歴史は大いにかわった」と記述があります。
古くは『続日本紀』に715年蝦夷から朝廷に蝦布(えびすめ)を献上したという記述があり、これが昆布であると考えられています。

料理の世界で、昆布がだしとして活躍するのは鎌倉時代、仏教の伝搬を待つ事になります。仏教は多くの大陸文化を我が国にもたらしたが、その中でも精進料理は、大陸の食文化として伝来し日本料理の起源となったといわれます。精進を旨とする寺院の料理には、植物である昆布は非常に使い勝手の良い食品です。その為、精進だしや煮物、揚げ物と色々な料理の中で活躍しました。

この頃から日本人の舌のベースに昆布特有の「うま味」が記憶されたのでしょう。それはやがて日本料理をいっきに華やかに、そして味わい深いものに導く大きな要因となるのです。又、これ以降の時代、武家社会では茶の湯がたしなまれる様になります。その茶の湯の文化は、一方では僧院の料理の影響を受けながら懐石料理として発展していきます。

「詫び」「寂び」の美学が僧院の供養としての食べ物への考え方に共鳴します。限られた食材を感謝の心を込めて無駄なくいただくという、日本人の食べ物への考え方はこの様な歴史に由来するといえるでしょう。

江戸時代に入り、ようやく北海道まで都の影響が及ぶようになると、松前に藩が確立し漁場の権利が近江商人に売り渡されます。
これにより北前船の活躍する日本海交易の時代がやってきます。北海道から昆布、ニシンを始めとする海産物が運ばれ、これらは京都や大阪へも流通、消費される様になるのです。

昆布だしの歴史に重要な意味をもつ水

日本の水は世界的にみると軟水といわれますが、全国で比べると地域によって差があります。軟水の中でも特に硬度が低い関西では昆布だしはしっかりと出ますが、比べて硬度が高い関東では昆布だしは出にくくなります。そこで、関東では濃いだしにする為に鰹節が使われました。このような地域の特色に応じた料理だしの味は、江戸時代ころに確立されたと考えられます。

この時代になると昆布は、琉球王朝を介して中国へも盛んに売り捌かれました。中国大陸内部におけるヨード不足からくる風土病の薬として珍重され、北海道からはるか北京までの壮大な交易ルートは、西のシルクロード「昆布ロード」とも呼ばれています。

海外にも認められたクールな食材

このように長い食文化の歴史の中で、その時々の社会に影響し大きな役割を果たしてきた昆布は、今も日本料理の下支え「だし」として活躍しています。昆布により日本人の味覚の基礎「うま味」が認知され、日本の食生活を大変豊かにしてきた歴史があるためです。
そして最近では、海外の料理人にも昆布だしが「クールな食材」として注目され始めています。昆布をはじめとするだしの文化は、日本人が長く育んできた食文化の宝といえるでしょう。

【参考文献】
河野友美 食味往来 中央公論社1990
司馬遼太郎 街道をゆく 週刊朝日1971-1996

昆布の老舗 奥井海生堂

福井県敦賀市に本社を構える高級昆布の専門店。創業明治4年。明治中頃より曹洞宗大本山永平寺御用達として、大正時代から昭和の初めにかけては北大路魯山人をはじめ京都の高級料亭との取引もはじまり高級昆布司として暖簾を守り続けている。特に北海道の礼文島、利尻島で収穫された天然利尻昆布を2年、3年と専用昆布蔵で寝かせ旨味を増す「蔵囲昆布」は有名。



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